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国立国会図書館 ビルメン現場を支えた人たち

ビルメンテナンス情報
国立国会図書館 ビルメン現場を支えた人たち

著 木村光成 さん(*)

 ビルクリーニングに、上野図書館が取り壊されて建て直されたとの報道があり、新しい建物が紹介されている。そして、児童図書館に生まれ変わるとの話だ。
 終戦直後、この建物は国立国会図書館であり、当時、蔵書は日本一であった。
 筆者もここを利用した一人であり、まだ終戦の名残の残るここの食堂の串カツを、我々はネギカツと呼んでいたが、肉は小指の頭より小さく、ねぎは親指の太さがあるという代物であった。そしてその後に、短期間であったが現在の迎賓館に移転した。現在では中に入る術はないが、絢爛豪華な内装で、なんとなく落ち着けなかった。

写真:赤坂迎賓館

 そして1961年、現・三宅坂に国会図書館が開館した。
 この図書館はアメリカの議会図書館をモデルに、米軍の肝いりで設立された経緯があり、ワックスや防炎剤のミル規格や戦時中は入手できなかった。連合国の論文などが公開されたため、ワックス、洗剤メーカーの研究者や、インテリアクリーニング協会の徳間氏が、朝鮮戦争特需のためと防炎協会設立目的で防炎剤のミル規格を研究したのも、国会図書館や日比谷図書館であった。
 現在、国会図書館は数度の増改築により、当時と比較して設備内容を一新している。

 この図書館が三宅坂に完成して50年になる。そのうちの40数年を、この建物の清掃に従事してきた女性がいる。矢口さんである。図書館オープンの時には既にベテランであった。現在、ほとんど見かけなくなった職人である。
 最近、ビルクリーニングで女性の現場責任者の座談会があり、女性のビルメン業界における地位向上の話があった。
 しかし、矢口さんは50年間、清掃責任者、営業、インスペクター、クリンクルー、清掃資材の選択と開発の、1人5役をこなしていた。資機材の選択眼も、自身で使用するため的確であった。
 特に、自在箒は60年代からほとんど使用されなくなった国産馬毛の自在箒を、2~3年使用している。自在箒の品質については、ビルメンテナンス1990年12月号に記載して、同時に矢口さんの話も載せてある。
 自在箒の品質を評価できた、ビルメン業界ただ一人の人である。フロアードライヤーも、輸入品のない70年には採用していただいた。また、書庫用のバキューム吸い口の製作など、多くの実績を残している。
 図書館の特徴として、紙の粉末が多量に出ることは部外者には想像できない。現在は改良されているが、当時は各所にほこりとして堆積して、この除去が問題であった。また、蔵王産業が1年間メンテ不要として売り込んだ、ハンチントン社の樹脂ワックスも、ここでテストされた。
 とにかく、この会社が50年間にわたって国会図書館を受注できたのは、矢口課長の働きといってよい。館長をはじめ、全ての職員は矢口課長の後輩であり、コンセンサスは万全である。課長職も国会図書館からの要求があったからとの話がある。あれだけ会社のために働いている人を、現場主任ではどうかと思うというのが、当時の外部の目であった。


写真:国会図書館

 とにかく、筆者も最近まで、この場所は駐車場兼昼食用レストランとして利用していた。
 このように、ひとつの現場に20年~30年、1人で何もかもこなし、本社にはほとんど出向かない。現場には電話もなく、公衆電話のみであり、給料は振込みで、接触は資材の配達だけという。いわゆる1人現場、都会の離れ島、都会の浦島花子(銀座の裏通りや兜町に見受けられる)を守り続けたのは、女性である。
 そして、長年の本社に対する貢献の見返りも、ほとんどないのが実情である。
 これらの人たちのことを考えないと、清掃の品質向上も、現場のクリーンクルーの後継者もいなくなる。この問題を考えるのはビルメン自身である。
 言い換えると、受注価格が何倍に上がっても、待遇が変わると考える人はいないであろう。
 会社にとって、会社の利益が第一である。


(*)ご本人より「現場の人が一番の先生であり、自分への先生づけは気が進まない」との申し出がありましたので、今回の記事より敬称を変更させていただきます。
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